2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

大江 人間の魂の中には自発するものはなくて、外側にあるものがそこで楽器を鳴らすようにした音を魂が記憶する、それが人間における表現というものだとということを伊東静雄が書く。『小説家の帰還』古井由吉

音というしずくに内側からうつる世界のなかのものと人間。だが、音がうつしているのは、それだけではなかった。 音がめざめる前の音は何だろう。音というこの空間はどこからでてくるのだろう。見えない世界、音の裏側にある何もふくんでいない空間、要素をも…

ドイツのリラというブランドによる白墨だ。白墨という言葉を自分の文章に使うのは、これが初めてのことだ。ワープロで白墨と平仮名入力し、画面にあらわれたふたつの漢字を見て、そうか、「ぼく」は黒という字の下に土だったか、などと思っている。『文房具…

記号そのものは一種の橋脚であり、「何か」と「誰か」を繋ぐものである。癒される前に、「何か」と「誰か」の分裂がある。だが、癒しに対する切望はどこにもいかない、まだここにある。『生命記号論』ジャスパー・ホフマイヤー

古井 『山躁賦』ですね。あのときはむちゃくちゃに振り回したんだね。振り回しただけでもけっこう迫力が出たと思いますけど。それでも肝心なところで見事に空を切ったという自負はあります。『小説家の帰還』古井由吉

(私たちはほとんどつねに重要なことについては原因と結果を逆転させる)。つまり、自らの死の切迫のうちで、おのれの死がおのれの「現存在の最も固有な可能性である」ことを覚知した人間が善行を行うのではなく、死の切迫によって、存在の彼方を望見した人…

未熟の果実は、かりに未熟のまま嵐で落果したとしても、植物としての死の瞬間まで、熟果としてのおのれの幻想的な消失点めざして成熟することを止めない。現存在にとっての死はこの「熟果の幻想」に似ている。『他者と死者』内田樹

わたしもうやめた 破壊工作やめた 妙な予感 振り払うのでせいいっぱい 「ハイファイ新書」相対性理論

わたしもうやめた 世界征服やめた 今日のごはん 考えるのでせいいっぱい 「ハイファイ新書」相対性理論

「文体」を獲得して初めて、作家は、机に向かわない時も作家でありうる。なぜなら、「文体」を獲得した時、言語は初めて、書かず語らずとも、散策の時も、友人との談話の時も、電車の中でも。まどろみの中でも、作家の中で働きつづけるからである。中井久夫

かれらがその後を生きのびることができたのは、六十八年が理論だけではなくて詩をもっていたからだと、といわれよう。『カフカ 夜の時間』高橋悠治

無秩序な世界、善が勝利に至らない世界における犠牲者の立場、それが受苦である。受苦が神を打ち立てる。救援のためのいかなる顕現をも断念し、十全に有責である人間の成熟をこそ求める神を。レヴィナス

というのは、埋められた死体というのものは、一般の予想に反して、地面の表に盛り上がってくる傾向があって、その点溺死体と似ているということを、彼は知っていた。『マロウンは死ぬ』ベケット

私の孤独とは、未知のものを持たないという仕方での孤独である。『他者と死者』内田樹

あなたは依然として証言というものを認識や主題化の上に成り立つものだと考えているのですね。私が語ろうとした証言の概念はたしかに開示のひとつの形式ではありますけれど、この開示は私たちに何一つ示さないのです。哲学的な語法はつねにこの主題化という…

話が進むにつれて、屠殺場がだんだん大きくなっていった。『マロウンは死ぬ』ベケット

ユダヤ神秘主義のある固有の表現についてお話しましょう。古代の権威者によって制定されたたいへんに古い祈りの言葉の中で、信者は神に向かって「あなた」(tu)と語りかけるところから始めますが、その祈りを「彼」(il)で終えるのです。まるで「あなた」…

破壊のあとに創造がくるのではなく、二つのプロセスは同時に進行している。向こう側から、すでに光がさしこんでいて、崩壊していくものが見えるのも、じつはその光に照らされているからにちがいない。『カフカ 夜の時間』高橋悠治

「選ばれた」という言葉を「特権」の用語で解してはならない。それは「責任」の用語で理解されねばならない。レヴィナス

自分の瞼が閉じたその裏側で、別の瞼が閉じるのを感じる、そのときまで生きるのだ。なんという目的だ。『マロウンは死ぬ』ベケット

生死の分節線を引くこと、それが「死者を弔う」ということである。『他者と死者』内田樹

禅において重要なのは、弟子が既存の体系にすがりつくのを止めて、「体系を拒絶する」ある種の「漂流」のうちに踏み込むこと、思想とは学ぶものではなく、それを生きるものだと覚知することである。『他者と死者』内田樹

昔はよく数えたものだ、三百か、四百まで、いろんなもので、雨とか、鐘とか、明けがたの雀の声とか、さもなければ、なんにもたよらずに、なんの理由もなく、ただ数えるために数えた、それからその数を六十で割った。そうやって時間を過ごした、わたしが時間…

今晩は断固として、嘘でないことはなにひとつ言うまいと思う、つまり、自分で自分のほんとうの意図がわからなくなるようなことしか言わないつもりだ。たしかにいまは晩だ、いや夜かもしれぬ、わたしの記憶するかぎりいちばん暗い夜のひとつだ、なにぶんお粗…

主体は、それ自体が解体されることなしには、そしてその結果対象が際限のない一連の移動へと逃れていくのを見ることなしには、欲望することはできません。『自我』ラカン

「何故って、幾何容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る。—御前そんな…

花月操法、十種体操は老いの促進法で、健康法といえば、若返らせることのように思われがちですが、若返るだけでは丈夫にならないことがたくさんあります。(略)体の力が足りなくなると、模倣、正確、形式を尊ぶようになる。空想とか、独創とか、自由なもの…

どうせぶつぶつ文句を言っているか、そうでなければ眠っているか、どちらかなんだから…晴れてさえくれれば大抵のことは我慢できるんだけどなあ…日の光が当たって初めて、それが本当は何だったのか分かるということもあるのだし…途切れ途切れ聞こえる小さな声…

恥辱だけが生き延びたように思われた カフカ

この夢では筏の上に立って陸地に着くのだが、明恵がこの夢を見る二年ほど以前に「筏立」というところに住んでいたことを思い合わせると、なかなか興味深い。夢は時にこのような語呂合わせのようなことをして、ユーモラスな感じを与えてくれる。『明恵 夢を生…