2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

例えば、足の裏で身体をコントロールできなくなってよろけると、一瞬まったく無意識の感覚が出てくる。それは私の五感が、身体の向きをちょっと変えただけで、完全にそのファンクションを変えられたということです。『生命の建築』荒川修作

キルケゴールのいう反復は前方に向かって追憶されるものだと言うが、ピラミッドの頭頂部から逆三角形のエネルギーが上昇、下降を繰り返しながら螺旋運動を繰り返していく様子に似ているように思う。横尾忠則

科学は物を巧みに操作するが、物に住みつくことは断念している。『眼と精神』メルロ=ポンティ

人は徐々にその運命の形態と混じりあうものだ。『神の書跡』ボルヘス

カレンダーより早く シャツの袖口まくって 太陽が近づく気配 僕の腕から衣替え 「ポニーテールとシュシュ」秋元康

「死んでからが人生なんだよね」 と言うと、幸子姉が「キャハハハ」と笑い出して、奈緒子姉は「高志もまた凝ったこと言うわね」と言ったのだけれど、私は冗談で言ったのではなくて、本当にさっきまわりの景色を見ながら「死んでからが人生だ」とか「死んでも…

朝は普通の曇りの日で、白い日ではあったけれど、黄色の日になるとは誰も知らなかった。テレビもなにも言っていなかった。『ビリジアン』柴崎友香

イルカの交信がかれらのなき声によってはなされないで、音と音のあいだにある無音の間の長さによってなされるという生物学者の発表は暗示的だ。武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』

或る一篇の詩を聞かされるか読むかしてその詩と縁があるならばそれが世界を変へるのであるよりもその詩が世界であるといふ感じがすることがあつてそれが必ずしも間違つてゐないとも考えられる。併しその詩が世界であるならばその詩である世界といふものがや…

或る朝、なんの前触れもなしに一台のスピネットピアノが私たちの家に運ばれて来た。それが、未だ面識のない黛敏郎氏から送られて来たものだと知ったときに、私は音楽という仕事の正体に一歩ちかづいたように直感した。『音、沈黙と測りあえるほどに』武満徹

彼の疲労は、ある日、幸福に似ていた。そういう瞬間の彼は犬と比べてもあまり複雑な存在ではなかった。『期待』ボルヘス

これからまた暑くなる、みたいなことは、そのころはまだ思わなかった。十一歳だった。『ビリジアン』柴崎友香

私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない—そういう状態だ。『音、沈黙と測りあえるほどに』武満徹

セザンヌが描こうとしていた「世界の瞬間」、それはずっと以前に過ぎ去ったものではあるが、彼の画布はわれわれにこの瞬間を投げかけ続けている。そして彼のサント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現われ、繰り返し現われて来よう。エクスに聳える…

サングラスのうしろで目をなかば閉じ、家々の番地も街路の番号も見ないように歩いた。『ザーヒル』ボルヘス

終末が近づくとき、もはや追憶の心像は残らない。残るのはただ言葉だけだ。時間というものが、かつてわたしに現われた心像と、幾世紀ものあいだわたしにつきまとってきたものたちの運命の象徴であった言葉とを、混同してしまったのも不思議ではない。わたし…

アブールワリード・ムハンマッド・イブン=アハマッド・イブン=ムハンマッド・イブン=ルシュドは(この長たらしい名前がアヴェロエスとなるまでには、途中でベンライストをとおりアヴェンリュズをとおり、さらにアベン・ラサドとフィリウス・ロサディスを…

この虎を多数の虎が横ぎって縞模様をえがき、またこの虎はその内部にかずかずの海やヒマラヤや軍隊を包蔵していて、それらがまた別々の虎であるらしかった。『ザーヒル』ボルヘス

わたしはまだ、たとえ部分的であれ、ボルヘスなのだから。『ザーヒル』ボルヘス

いまでもおぼえているが、ある不死の人は決して立ちあがることがなく、その胸の上には一羽の小鳥が巣をつくっていた。『不死の人』ボルヘス

この世界で、人間という生き物に知覚の能力を与えているものは、まず自然であって、決してその逆ではない。『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹

また、ときに笑いだすことがあっても、何を笑ったのか、自分でもわからなかったし、思いだすこともできなかった。『白痴』ドストエフスキー

ただ一人の不死の人がすべての人である。『不死の人』ボルヘス

僕が完成することを求めるとすれば、それはより真実な、より難しい喜びのためだけであるべきです。セザンヌ

われわれは現実を気軽にうけいれるが、それはおそらく何ものも現実ではないことを直観しているからであろう。『不死の人』ボルヘス

たとえば、普通は空気と総称される物質にも個体化に向かう極小の傾向があり、動物と呼ばれる生命体にも周囲に浸透していく気体状の深さがある。『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹

座っている彼女の姿全体が、生きていることのひとつの深い秘密のようであり、しかもこの秘密には、何ひとつ隠されたところなどない。『セザンヌ 画家のメチエ』前田英樹

けれども、この死には、何も悲しいものはない。それは、純金色の光ですべてを浸す太陽と共に、白日の下で起こる。ゴッホ

私のモデルと、私が置く色と、私とは、一致して生きなくてはならない。過ぎていく同じ瞬間をニュアンスで満たさなくてはならない。セザンヌ

この巨大な褐色がかった青が、私の魂のなかに落ちてきて、そこで歌っていた。セザンヌ