2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

花があちこちに咲いて草が生い茂っている季節は、猫にとって世界はどんな匂いの集合体になっているのだろうか。『明け方の猫』保坂和志

瞑想は祈りとは無縁である。祈り、祈願は自己憐憫から生まれる。クリシュナムルティ

俺が何かしているんだという主語が非常にはっきりしているときというのは、治療は上手いこといってません。中井久夫

主体=客体といった関係が不意に消滅する瞬間に批評が、あるいは創造が体験として生起するのだ。「映画と批評」蓮實重彦

神域一帯が野鳥の森とされていた。しかし、一羽の野鳥も目の前を過ぎないことに、私はいっこうに不審を抱かず、むしろいっそう、そこが野鳥の森であることを感じていた。 『鳥を探しに』平出隆

全生とは死ぬこと也 死ぬということ 生ききって初めてあり生ききらぬ人は死ねず 野口晴哉

ベルリンの壁が壊れたときも、とシュテファンがいった。 「ぼくはタクシーの運転手。夜、一人のお客さんを乗せて、東に入りました、東は入ったこともなくて。お客さんもぼくも。それで迷いました。明け方になってやっと見つかりました。その通りは、入ってい…

私の一生は、無意識の自己実現の物語である。 無意識の中にあるものはすべて、外界へ向かって現われることを欲しており、 人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。 ユング

僕が現場と言うのは、たんに目の前にある場所ということではないのです。『遠野物語』森山大道

基本的に受け身を取れるのは、受け身を取れるように投げているからですよね。光岡英稔

おなじ宵なのにべつの宵で,べつの夏なのにおなじ夏であることのあたりまえさとふしぎさに,個体たちがいすくむ卓が点在する. 『累成体明寂』黒田夏子

世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するところでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界で在る。これをプレ世界というならば、ここに…

政治家の役割は戦争をしないこと 野中広務

幸福が内にあり、充実が内にあり 光明が内にある人、かくなるヨギはブラフマンと 一体になり、聖なる意識の中、永遠の自由に達する バガヴァッド・ギーター

だからアート・ライフとは、いいことを思いつくための時間を持つ自由のことだ。『大きな魚をつかまえよう』デイヴィッド・リンチ

バイバイ暗い雨 夢で逢えたなら何を話そう「長い夢」YUKI

それでいてその旋律を知っているのは,道すがらの建ものから洩れてくることも休日などに耳にすることもあったからだが,その旋律じたいもその音階体系もけしてきらいなわけではないのに,それどころかときとして苦痛なまでにおぼれかかるのに,それを聞いてしま…

初咲き初鳴きは日記にあらわれやすいが,散りおわり鳴きおさめはあらわれにくく,おそらくはつぎのめぐりを待つことのおぼつかない者だけが見さだめ聞きとどけようとして息をつめている.『累成体明寂』黒田夏子

まわりのおもわくなどかかわりもないといなおっているつもりの者を,なにものでもない個体でありつづけることの疲れがときおりよけきれない波のようにおそった.『累成体明寂』黒田夏子

いつであろうといくつかの並行した時間を身うちに流していたのであり,それが個体というもののひそやかさ静けさの正体であるのかもしれなかった. 『累成体明寂』黒田夏子

制作のためにだけ目ざめたいのに,起きれば出かけるしたくにかかるほかない朝を,ゆるせることがゆるせなくなりだしていた.『累成体明寂』黒田夏子

なにはともあれ日記者は日記することで生きのびなければならない.『累成体明寂』黒田夏子

おとなが難じるだろうというのではなしに,なにかを踏みこえかけたというあやうい足まどいが,その宵あかりの8角形の中の帰りじたくをきみょうに無口にした.『累成体明寂』黒田夏子

その,はみだしたもの,手のつけられなかったもの,どう言語化形象化していいか途方にくれていたものによってだけそのあとの半世紀が歩けた.『累成体明寂』黒田夏子

ずっと間があいて,どこにも帰りつきたくない屈託者が川風をよすがに歩きつのってくると,ちょうどすぐ手まえまで来ていたその橋を,乗り合いの大型車が渡るところだった.夕日と夕雲とそれを映した川面とを総身のがらすに蒐め,ばらいろにゆらめいて過ぎた.橋う…