2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ときおり遠くに見える橙色の灯りは近づくにつれ弱々しく、か細くなって、仕舞いにはどれも消えてなくなってしまった。 磯崎憲一郎『過去の話』

ますます悪くなり、ますますよくなる、同じことだ。『ジャコメッティ』矢内原伊作

今こそわかった、それなのに時間がない、何ということだ、畜生!『ジャコメッティ』矢内原伊作

東京の電話の主の最後の文句は、たまらないような清涼ともいえる笑いの中にかき消えた。 小島信夫『菅野満子の手紙』

戦争は不幸であり、平和は幸福である、と私たちはいうけれども、いわばそれは当たり前のことである。 その戦争が幸福のあらわれであり、平和が不幸のあらわれであることもある。 小島信夫『私の作家遍歴』

とにかく私は何かが見えかかっているような気がします。しかし、油断するとすぐ消えてしまいそうなのです。 小島信夫『菅野満子の手紙』

もともと小説や物語に書かなければ何もこの世に存在しないも同然ですから『菅野満子の手紙』小島信夫

きのうまでの仕事はすべてまちがっていた。『ジャコメッティ』矢内原伊作

いや、私は千年生きたい。『ジャコメッティ』矢内原伊作

絶えずこれまでになかった新しいものを求め、他人に似ることを恐れて個性的であろうとする。結果はどうか。今日の展覧会で見たように、現代の絵画は千差万別のようでいて不思議にどれもこれも同じように見える。個性的であろうとしてかえって非個性的になっ…

新潟県に続く山脈も近くの山も落葉していた。人並みに車を降りて紅葉を眺めた。それは彼らと何の関係もなかった。その時関係のあるものは何もない。 小島信夫『うるわしき日々』

混乱を恐れてはいけない。デイヴィッド・リンチ

『ナムアミダブツと唱えると、ラクになる』ということです。彼はラクになりたがっていることがよくあることだけは、ぼくはよく知っています。 『菅野満子の手紙』小島信夫

失踪のはじまりは、先ずこのベンチで夜を明かすことではないでしょうか。『菅野満子の手紙』小島信夫

作者は、船が潮流にも乗ってある方向に進んで行きつつあるらしいのを見とどけながら沈没させないように楫をとることに専念する。この潮流こそめあてでもあったみたいだからである。こうして目的地に無事上陸したかに見えるかもしれない。しかし、そのことよ…

作者はたった一つ、コミュニケーション、というよりせめて古くさくみえる「友愛」というものがほしくて、人物の語る手紙の海にひたったのであろう。『菅野満子の手紙』小島信夫

それは男のくせに、林檎の花びらのような後味を残す接吻だった。『菅野満子の手紙』小島信夫

在来工法の輝きは最初だけ。「宮崎駿の思考過程」宮崎駿

いったい、あの海から帰ったあとで時子が急に家を建てたいといいだして、自分に金を都合させて、半年の間に実現させたのは、どういうつながりがあるのだろうか。『抱擁家族』小島信夫

その袈裟を脱がしてもいい? 悟りがひらけるから 「丸の内サディステック」椎名林檎

なぜこういう時に、関心もないのに庭を眺めるのだろう。途方にくれているとき、助けを求めるように、なぜ庭を眺めるのだろう。『抱擁家族』小島信夫

過ちしか犯さない世界の住人の一人として、来る日も来る日も今日に至るまで、この虹を、この夕暮れの時間帯を、この季節を、この光と風を逃し続ける人生を私は送ってきたのだから。『過去の話』磯崎憲一郎

ぼくは女房の病気がひどくなるにつれてエッセイしか読めなくなって、商売がら閉口いたしました。小説を見ると、冗談じゃないよ、といいたくなるのでしたから。『菅野満子の手紙』小島信夫

他人の言葉にちがいなく、それを他人が発した情況も覚えているのに、あれこそは自分の魂の深奥から出た言葉だと感じられる言葉。『ピンチランナー調書』大江健三郎

私の年齢になれば、涙なんか、どんなときにでも出るのです。『菅野満子の手紙』小島信夫

それなら、その分かりにくさが、とても健康で宜しいんではございませんの。『菅野満子の手紙』小島信夫

作者は、人間をめぐる問題についての考え方として、一つのマトマリをもった筋道のあるものとして、最初から自分をつきあげてくるようなものを持ち合わせていない。しかし関心は色々とある。あるいは何かのキッカケで語りたくなるようなことは、ないことはな…

現実にはそんなことはありえなかったし、そして、それを思い出すことも決してできないが、しかし確かに存在する「ある記憶」に支えられることで、人は生きている。古谷利裕

正しい正月の過ごし方なんていうのはないはずだが、ぐうたらに午後から起き出したりすると、はてこれでいいのかと思ってしまう。こういうまっさらな空白域の広がる一日は年に今ぐらいしかない。最近は正月でも開いている店が増えてつまらないと思う。昨日は…

読むことがひとつの主体の矯正であり、改変であり、生産ですらあるように。読みえないものを読むこと、それが主体を作り出すのだ。佐々木中