2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

そこでも重点は それらの原理による統一ではなく 複数への分岐とそれらのあいだのバランスだった 高橋悠治

三浦梅園は過去に於いては余りにも遅く、未来に於いては余りにも早く生まれた思想家である。山田慶児

〈おんがくいぬ〉 こいぬ/ことばにならないこうふく/こうふくなこうふん こいぬが/くらやみのなかをはしる/ながいことはしる/それから とつぜんとまった ここがそれだ/そうかんじて 『カフカ 夜の時間』高橋悠治

それらは平均律や 一般に調律による 透明な貧しい響きに対して あいまいさ 複雑さ 色彩 を強調していた そこにはじまりもなく おわりもない時間 争うことのない共存の空間の展望がある 高橋悠治

勤め人なんて一人のこらず、ぼろ屑みたいな人間ばっかりなのだろうか。たとえ朝の間の二、三時間くらい商会のために活用できなかったとしても、じつは良心の呵責をおぼえて気ちがいみたいになりながら、しかも、どうしてもベッドから離れられなかったような…

われわれの芸術は真実によって目のくらんだありかただ。後ずさりするしかめ面への光以外にはなにも、真実ではない。カフカ

人間的なうた、そこからはこの魂の自由をかんじられない。逆に、遠いものと語り合う音を手にするには、沈黙に耐える以外ないが、そんなことが、だれにできるのだ。『カフカ/夜の時間』高橋悠治

人の生き方はその人の心の傾注がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。スーザン・ソンタグ

二つ目の音の強さをわずかに変え、はじまる時間をわずかにずらし、前の音との間を気づかないほど区切る。それだけのことで、二つの音は一本の線ではなく、別々の線が偶然出会ったようにしかきこえない。これを徹底させれば、ピアノの八十八のキーは独立した…

もう一度、彼は自分が人間世界へ仲間入りをさせられた思いがして、医者と錠前屋の双方が—彼はこの両者をはっきり区別して考えなかったのだ—やがて目ざましくすばらしい手腕を発揮してくれるのを待ち望んでいた。『変身』カフカ

一九一五年三月十三日 新婚一年目の幸福。自分をそんな幸福の中においてみて、愕然とする。〈カフカ 日記〉

日本でだれかがつくったものもある。この方はケニヤ製のような廃物利用ではなく、きれいにつくられていて、やわらかいひびきがするが、すぐあきてしまう。音がそろいすぎていて、サラリーマンのようだ。『カフカ/夜の時間』高橋悠治

アボリジニはあらゆる鳥の声をディジェリドゥであらわす。それは白アリが穴をあけた木の幹を吹くだけのことで、外部の人間にはそのひびきが何をあらわしているのか知る手がかりさえない。『カフカ 夜の時間』高橋悠治

魂を観察するものは、魂のなかに侵入することはできない。たぶんどこか端の方で触れあうところはあるだろう。この接触でわかるのは、魂も自分自身をしらないことだ。それは、そうして未知のままであるよりしかたがない。魂の外に別なものがあったとすれば、…

カフカの日記が古本屋から届いた。封を開けて手に取ったときにこれは生涯の本となることを悟った。〈一九一〇年、七月十九日、日曜。眠っては眼を覚まし、眠っては眼を覚ます。みじめな生活。〉〈七月一日。疲れすぎた〉〈九月十八日。なにもかもズタズタ。〉

今夜の一番先輩格は「短気の照やん」と云う人だった。照やんは短気ではなく落ちついた五十年輩の人であるが、何代か前に照やんの家に短気の人があったので今でも短気と呼ばれていて、それは綽名ではなく家号のようになっていた。『楢山節考』深沢七郎

変えることのできない過去、取り戻すことのできない時間、絶対に行けない場所。それらを、思い続けること。繰り返し、何度も、触ることができないと知っているから、なお、そこに手を伸ばし続ける。『わたしがいなかった街で』柴崎友香

出される声そのものでなく、声の奥底にある揺れのようなものに、おぼえがあるのだった。『真鶴』川上弘美

速度トハ運動スル力デハナク運動シテイル状態デアル。『東京のプリンスたち』深沢七郎

わたしは、かつて誰かが生きた場所を、生きていた。『わたしがいなかった街で』柴崎友香

写真は既に世界の中で撮られている ベルクソン

私も会社で帰り仕度をするときなど、 「さあ、ユートピアに帰る時間となりました」と冗談を言ったりしたのだった。 『月のアペニン山』深沢七郎

きみは悪から善をつくるべきだ。 それ以外に方法がないのだから。 ロバート・P・ウォーレン

まだ冬なので外気は凍るような寒さだ。この冷たさを突然、その辺を歩いている知らない人に伝えたくなる時がある。『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』中原昌也

寒い地方 暑い地方 諸国をまわって来たその僅かな言葉は その季節々々の風のなかにあわれにしわがれて消えていった 中野重治「大道の人々」

僕にとって現実っていうのは、現実という言葉でけっしてとらえているものだけではなくて、つまりは記憶のパラドックスも含めて対応していることのすべてなわけです。『遠野物語』森山大道

僕が現場と言うのは、たんに目の前にある場所ということではないのです。『遠野物語』森山大道

石ころが目につけば撮る、花が咲いてれば撮る、馬がいれば撮る、川が流れていれば撮る、祭りの踊りが始まれば撮る、マンガ雑誌があれば撮る、曲がり家が見つかれば撮る、メシがくれば撮る、という具合に、なんの脈略もなく、行き当たりばったりにひとまず撮…

ただ、一度、同じノスタルジアのうちに、あの野蛮人たちの恐ろしい村と、鈴なりの果樹にかこまれたわたしの生まれ故郷の町とを、混同したことがあったのをおぼえている。『不死の人』ボルヘス

作品は、全くの想像から生まれた組合せのほかは、現実のものはなにひとつ、世界と精神についてのいかなる観察も含んではならない。レーモン・ルーセル