2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「スキゾフレニア」はS、K、I音が強く響いて硬い感じがするけれども抽象的な「透明」なことばである。中井久夫

世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するところでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界で在る。これをプレ世界というならば、ここに…

比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちでとでなければ登りたくない山であった。『徴候・記憶・外傷』…

神は曲がりくねった線でまっすぐに書く。ポルトガルの諺

目覚めても彼はブッダだった。いや、ほんとうはこのころはまだ王子のシッダールタだったのだが、いずれブッダと呼ばれる男であることに変わりはなかった。『肝心の子供』磯粼憲一郎

この作品にある、把握しえないことの無力感が煽り立てる快感、あるいは、さまざまな解釈から逃れていく言葉の色気についてもうかがいたいと思っています。蓮實重彦

その花に会いにいくのがやめられた春と,草地にその花が絶えた春のどちらが先だったのか,朽ちすすんだ囲いの青い塗料が剥落しつくすのと,道の涯があえて見やろうとされなくなったのとどちらが先だったのか,それでも門の前に立つ者の肩には,かならず両端の石組…

やわらかな若みどりをなわ状にくねりあわせていきながらけんめいに天に向かい,ひとつひとつの花はきわめて小さいにもかかわらず形象が明確でためらいがない. 『累成体明寂』黒田夏子

そういうかけらのひとつがふとべつの街のかけらで呼びだされ,呼びだされたについてはよすがになる垣のたたずまいか,物のにおい日のかげりでもあるかとさぐってとらえられず,ただ,いま立つそこもそんなふうに,みゃくらくもないきれはしだからというだけなのか…

なじみになじんだもの,なじみたりなかったもの,かすめすぎたもの,かすめもしなかったものをふくむ原初の体系を出てしまうと,そのあとの,できかけては解けた不完全なまにあわせの体系では,わずかであればなおつねにおなじものばかりを見ていたはずであるのに…

野瀬俊夫は緑道を歩きながら、ユリノキの木の芽が芽吹いたりするのを注意深く見るようになったのはやっぱり彩子と一緒に暮らしたからだろうと思った。『残響』保坂和志

なつかしまわれたのはたぶん,ふたつの呼びごえのどちらもがおなじようにしたわしかった甘美な季節であり,その帰着をきっかけに急速に片ほうにかしぎはじめるきわのつかのまの均衡の体感であったのだろう.『累成体明寂』黒田夏子

幼児にきかれたおとなは芳香のある強い酒精の名をこたえたが,酒精をこのむ者のいない卓でほかのなにを入れるのにも細身にすぎ,半だーす並んだまま乾いて伏せられつづけた.『累成体明寂』黒田夏子

もっと紺が多かったようにも変わりだし,ついには白に紺だけだったふうにまで蒼ざめていき,ふいにまた装置の不調がなおりでもしたように濃密に色づく. 『累成体明寂』黒田夏子

一番鶏の歌で目覚めて 彼方の山を見てあくびして 頂の白に思いはせる すべり落ちていく心のしずく 根野菜の泥を洗う君と 縁側に遊ぶ僕らの子供と うつらうつら柔らかな日差し 終わることのない輪廻の上 「田舎の生活」草野正宗

しかしまた,やわらかなさざめきをひそめたその1ついは,生涯にわたる摂食の贅をいのっての贈りものにするならわしがあると聞いてもいて,原初にそう祝われたのであればもういいか,いまさらにじぶんでは買うまいかと数しゅんで通りすぎられた. 『累成体明寂』黒…

野うさぎの走り抜ける様も 笹百合光る花の姿も 夜空にまたたく星の群れも あたり前に僕の目の中に 「田舎の生活」草野正宗

なめらかに澄んだ沢の水を ためらうこともなく流し込み 懐かしく香る午後の風を ぬれた首すじに受けて笑う 「田舎の生活」草野正宗

或る日見知らないゆのみに飲みものがつがれたのは箸の件よりあとだったので反射はさらにすばやく,しかしことの暗さがうすまったわけではけしてなかった. 『累成体明寂』黒田夏子

おなじ宵なのにべつの宵で,べつの夏なのにおなじ夏であることのあたりまえさとふしぎさに,個体たちがいすくむ卓が点在する. 『累成体明寂』黒田夏子

個体の行程のまるで異なる地点を,おなじ宵のおなじ卓に寄せ合う哀しみの前に,透る食器が液体を円柱として立たせている.灯らないろうそくのように,へっていってへりきわめて,静かなうつろが立ちつくす. 『累成体明寂』黒田夏子

針葉樹の林が点在する磯の町は,どんなに照りつけた日にも,くれがたのひとときの風の縺れをほどいたあとは,す枯れて優しいほのやみになった.『累成体明寂』黒田夏子

映画という知覚が非中枢的であることは、すでにそれじたいが巨大なひとつの矛盾であり、小津の映画はこの矛盾の徹底した肯定によってこそ成りたつ。『小津安二郎の家』前田英樹

音のうまれるときは、人間の内部にもからっぽな空間がある。心にじゃまされずに音に気づき、音のはこびをほとんど意思の力で消えるまでたどる。音をつくる身振りは訓練をかさねて、意識からはなれていく。フィードバックの環はまわりだすと、はじまりの点は…

日が高く、太陽が明るい空に輝いていた。十一人の兄弟は、突然、妖精の予告した水の球が現われるのを見ておびえた。彼らは、身を守る文句を探し求めたが、連日の底抜け騒ぎの間に忘れ果ててしまい、思い出すことができなかった。『ロクス・ソルス』レーモン…

日本に帰るまえに、どうにかしてアメリカの女と寝ておかなければならない。当時の私はそんなことを考えていた。『眼と太陽』磯崎憲一郎

歌が続くかぎりは、永遠も恐れるものではない。古井由吉

とりわけ患者を理解しないようによくよく注意しなくてはいけません。理解してしまうことほど皆さんを惑わすものはありません。ラカン

文学に何かの意味があるなら、それは、作品というものが、それが書かれている国の言葉を外国語へと変容させるということにつきているわけです。優れた日本の小説や詩は、日本語を外国語にしてしまうものでしょう。『闘争のエチカ』蓮實重彦[

索引の多さはその人の生の豊かさと関連する。『徴候・記憶・外傷』中井久夫