2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

大晦日と新年、つぎなる結び目。 やはりなにがしかの希望を願わずにはいられない。 それよりも爽やかな絶望か。今年の次は来年。 明日は天気が悪いようだ。あの正月の充溢した白い光が好きなのに。 座っている彼女の姿全体が、生きていることのひとつの深い…

感情は分析によって、透明にされていくことがない。ここでは、およそ精神分析学はなりたたない。コミュニケーションによる理解の場にひきだされることをのがれつづけようとする感情のモナドどうしは、感情の論理学のような遠隔操作によってではなく、まるで…

こう厳密に垂直にかぶった帽子には、よくわからないが、私をいらだたせる力を備えたなにかがある。『モロイ』ベケット

音のうまれるときは、人間の内部にもからっぽな空間がある。心にじゃまされずに音に気づき、音のはこびをほとんど意思の力で消えるまでたどる。音をつくる身振りは訓練をかさねて、意識からはなれていく。フィードバックの環はまわりだすと、はじまりの点は…

自分はこの夏は、午前中創作を書き、午後は籐椅子を持ち出して庭の緑蔭を楽しむのであるが、午前中の創作活動が、午後の休息の肉体に愉悦を与えるのを例としている。自分は文学はここまで来なければうそだと思う。夏目漱石

成人文法性成立後に持ち越されている幼児型の記憶は(1)断片的であり、(2)鮮明で静止あるいはそれに近く、主に視覚映像であり、(3)それは年齢を経ても基本的にはかわらず、(4)その映像の文脈、すなわちどういう機会にどういういわれがあって、こ…

激しく、自律のリズムで狂え、生活をおそれるな。貧困などものの数ではない。無性に書物が読みたくなってきた。またしても素晴らしい空だ。『航海日誌』吉増剛造

比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちでとでなければ登りたくない山であった。『徴候・記憶・外傷』…

精緻な「意識的方法論」に拠る研究は堂々たる正面玄関を持ちながら、その向う側が意外に貧しい場合も皆無ではない。『徴候・記憶・外傷』中井久夫

自分一人のための美などもういらない 「ノスタルジア」タルコフスキー

次にカクレキリシタンの名称であるが、長崎県下各地において彼ら自身はみずからカクレキリシタンとは称してこなかった。生月では「古ギリシタン」「旧キリシタン」、平戸では「辻の神様」、外海では「昔キリシタン」「古ギリシタン」「しのび宗」、五島では…

世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するところでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界で在る。これをプレ世界というならば、ここに…

じっさい初期の移民女性たちは朝は四時に起床して自分用と夫用の弁当を作り、十時間畑仕事をした後で疲れ果てて帰宅してからも足袋や仕事着を縫い、独身者の衣服の洗濯やアイロンがけを終えてから朦朧とした意識のまま泥のように眠るという、ほとんど殺人的…

地上は火の海になっているのに壮麗な火の雨はなお降りつづけていた。この無力感なのだなと平岡は思った。この圧倒的な無力感を忘れようとして人は営々と汗を流して家を建て子を産み子を育て、芸術に入れ揚げて悦に入ったりしてきたのだ。降りそそいでくるも…

だが、監禁される不倖と監禁されない幸福との間に結局、どれほど本質的な差があるのか。所詮、一瞬のきらめきの後はその不倖もその幸福もただ暗い虚無の中に呑みこまれてゆくだけだというのに。『不可能』松浦寿輝

aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが、きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから、aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半…

すなわちそっくりそのままのかたちで直立し、夜が明けても透明な青緑色の靄の厚みをとおして、そのままの彼らが見られるにちがいなく、それはあたかも行軍中に不意に地殻の大異変に会って生き埋めになった軍隊が、目に見えないほどゆっくり移動する氷河によ…

けれど、どこへ行くにせよ、あなたがあなたの花を咲かせられるようなところへ行かなくてはだめだ。それだけはいっておく。どこであろうと、あなたが持って生まれた才能を伸ばし、それがその場所に生きる大勢の人たちの役に立って、大きな花を咲かせることが…

私がはじめてベルリンという地名に木霊するものを自分の中に感じたのは、ベンヤミンの本に出会ったときだった。一九六〇年代の終りから、その著作集が日本でも翻訳されはじめていた。とくにそのうちの文学的なものといえる『ベルリンの幼年時代』を読んだと…

民謡というものは、現実には、誰かがそれを歌ったり演奏したりしている瞬間にだけ存在しているものであり、歌い手の意思と歌唱法によってのみ、生命をもちうるものなのである。ブルイロユー

「見ること」そのものを宙に吊ってしまう絶対的な隔たりがいきなり露出するのであり、それこそがまさに「物」なのである。『平面論』松浦寿輝

物の配置が落ち着き、季節のめぐりが敷地ごと感じられるようになったせいか、ここに住むのだと、あらためて構えつつあった。『猫の客』平出隆

理性と理想の差異は、理想の中では住めるが、理性の中では住めないということにある。『春宵十話』岡潔

すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原則だと思う。『春宵十話』岡潔

天皇即位式の前後だった。私の部屋は、八王子の旧バイパスに面している。 式の二日前から夜は静かで、窓越しに見ればまばらな車も、ライトを落として走っているようなおとなしさだった。連休は帰省や旅行が多く都内の人口が減っていたはずで、その影響や、警…

ところがトーリーが手早く、事務的な感じがするほどじつにあっさりと、私に背中を向けてではあったが、紫のセーターを脱いで、ブラウスのボタンを外し、下着まで取って両腕を軽く上げたとき、ほんの一瞬だが、黒い腋毛の剃り残しが見えた。髪はブロンドなの…

ドゥルーズが明確に指摘するように、小津のカットは写真との類似が最も緊密に現れるその地点において、写真のありかたから最も根底的に遠ざかる。 『小津安二郎の家』前田英樹

日本に帰るまえに、どうにかしてアメリカの女と寝ておかなければならない。当時の私はそんなことを考えていた。『眼と太陽』磯崎憲一郎

鉄鉢の中へも霰 種田山頭火

行動の中心であるべきさまざまな人物が、諸事物が出現する多元的な質の差異のうちに入り込み、それらの事物と相互に浸透し始めるような世界は、笑いに満ちている。『小津安二郎の家』前田英樹