(私たちはほとんどつねに重要なことについては原因と結果を逆転させる)。つまり、自らの死の切迫のうちで、おのれの死がおのれの「現存在の最も固有な可能性である」ことを覚知した人間が善行を行うのではなく、死の切迫によって、存在の彼方を望見した人間がなす行為を総じて「善」と呼ぶという定義の方が、あるいはことの順序としては正しいのかもしれない。『他者と死者』内田樹