感情は分析によって、透明にされていくことがない。ここでは、およそ精神分析学はなりたたない。コミュニケーションによる理解の場にひきだされることをのがれつづけようとする感情のモナドどうしは、感情の論理学のような遠隔操作によってではなく、まるで電磁波のような近接作用によって、おたがいのあいだにむすびつきを見いだす。それは頭による理解ではなく、実存の全体をまきこむリズムをつくりだす。そのなかから盆踊りやインディアンの足踊りのような、単調だが、こころを深くゆさぶるあの音楽性が生まれてくるのだ。『東方的』中沢新一