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クリシュナムルティの日記を読んでいる。
目的や方向をもったものは永らえることがなく、
有害なものになり、
取引きのように賤しいものになる。
ここのところをマーカーしているおれ。
昨日、アクト・オブ・キリングという映画を見てそう思ったのだった。
しかし、映画には終わりがある。ラスト・シーンなるもの、
そこで残念?ながら映画はあるひとつの結論を下してしまうのが普通だ。
それは世界の引き受けといえば、かっこよいが、
取引きとなってはいけない。
でも世界が取引きそのものならば…
善は悪の反対ぶつではない
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本降りの雨。
雨音が心地よい。
屋根のあるところに住んでいるから、
台風さえもわくわくする。
ホームレスの人たちに真冬の夜半、毛布を配る活動をしている大阪の川口さん。
その大阪の誰もいない夜景を背景にした写真が素晴らしかった。
川口さんがたくさん抱きかかえるベージュの毛布。
今のアパートの上階には1年くらい誰も入居者がいなくて静かだ。
ただ子どもの走る足音など嫌いじゃなかった。
壁が薄くていろいろ聞こえ、少しだけ孤独を思った。
孤独は夜一人で眠るときよりも、
朝一人で起きるときの方が感じる。
同じ形のアパートが隣にある。
うちはA棟。隣はB棟。
B棟はよくもまあこれだけ多彩に一癖ある人を集めたものだなと感心するくらい、
手強そうな人が住んでいて、隣人トラブルも多い。気が荒れている。
わたしの住んでいるA棟はみな大人しく、穏やかな住人たちでB棟とは面白いほど対照的。
似た人たちを引き寄せるのだろうか。
隣のおじさんは週末にはいつも
大きな白いブリーフを物干し竿に何着も
風にたなびかせているのだからA棟は今日も平和。
鏡。
今日は髪を切る。
運動がてら走って床屋まで行こうか。
http://www.homedoor.org/wp-content/uploads/2014/02/1537426_273726942783761_522076847_o.jpg
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花見で酒をのみすぎたせいか、
夜半にサイケデリックな悪夢を見る。
自分の車が制御できずつぎつぎと人を撥ねてバラバラにした。
タランティーノの「デス・プルーフ」の影響か。
悪夢というのは一瞬で悪夢だとわかるものだ。
その世界観、どぎつい極彩色、空気、ふれるだけでおそろしいもの、
起きた瞬間に夢でよかったとおもえるもの。
会社の二次会にはいつも行かない。
つきあいの悪い薄情なやつと思われているだろう。
キャバクラとかそういう店に行ってお金を使って楽しむことができないという
こともあるが、たいていはお酒や食べ物を大量摂取した後は、
お腹がゆるくなり、はやく家に帰りたい。
蟹江敬三さんが亡くなっていた。
わたしは数本しか彼の出演した映画を見ていないが、
どれも忘れることができない人間の匂いを強烈に放っていた。
十九歳の地図をもう一度見よう。
http://www.geocities.jp/zahyoziku/eizou/19/19.htm
わたしも十九の頃、浪人で1年間新聞奨学生をやっていた。
その体験はいまでもたまに夢に出てくる。悪夢としても、よき夢としても、
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静かな日曜日。
わたしの場合静かであることはすべてに優先する。
鳥はいくら啼いても、この静けさを乱すことはない。
津波の映像を延々と見ていた。
津波自体に善悪はない。
過去も未来もない。
年齢を経てよかったと思うのは、
人生の「つづき」を見られた、体験できたからである。
あの体験、あの出会いが、
その後予想もしなかった出来事と直結する。
そのうねりの豊かさに驚く。
波の終わるころ、その端っこの泡沫さえ、
なにかに姿を変える。
そういう交響曲。
そういう映画をつくりたい。
「神秘的融即」は、文化人においては通例人物同士の間で生じ、人物と事物の間では滅多に生じない。前者の場合は所謂転移関係であり、主体に対するいわゆる呪術的な、即ち絶対的な影響力が客体に付与される。後者の場合は事物に同様の影響力が付与されたり、事物やその理念との一種の同一化が生じる。ユングbotより
会社のトイレをよく掃除する。
トイレを汚いと見るのは、だまされているというか
うわっつらな仮象に引っ張られているからである。
ほとんどよのなか、この仮象というやつに幻惑されて本質を見失っているのである。
本質に気づくと、その本性が「ばれたか〜」といって笑って仮象が去るのである。
トイレは汚いという観念が去っていくのである。
人は仮象でみずからの生を窮屈なものに、そして縮め自死さえするのである。
ただ〈気づき〉というのは、知識ではなく体認の方にあることは注意しなければならない。
知識が気づきを促すことはあるが、「ああっ!こういうことだったのか!!」という
ハラへの落ち方は頭の方ではない。
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泥沼にもいろいろある。
先日降った雨で現場の重機が泥沼にはまり込み、
その脱出に一日朝から昼もとらず、夕方まで、
最後は救世主のようにたまたまユニックが到着して、
引き上げてくれた。
※写真とは関係がない。
一日中、泥沼を見ているといろんなものが、
泥沼を哲学するみたいに考えていた。
ソラリスの海のように、泥沼はわたしの想起を
あるいは無意識を物質化していった。
同じ場所の泥沼も、時間や気温、踏み込み方によって
まったく別のものに変質し、
この一日の無益な格闘が映画の導入部にもなりうるのになと、
カメラをもたないことを悔やまれた。
この場面が映画に似ていたのは、そこにいたみんなが
泥沼から抜け出すというテーマ一色に染め上げられていたからである。
わたし以外を除いては。
わたしはそのとき、迷宮とか円環だとかヌーヴォーロマンだとか
そんな関係ないことばかり考えていた、重機を横車に押しながら。
不真面目極まりないが、まわりが真剣であるほど冗談に思えてきて仕方がないのだ。
大西巨人はそうやって戦争をだしぬいた。
彼は戦地に『武器よさらば』を携行した。
『フランドルの道』にも泥沼の光景があり、
重砲など泥沼からひきだす困難さこそ戦争の本質を
伝えているように思えた。
また将棋の故米永邦雄永世棋聖は「泥沼流」という
「劣勢になると自陣に駒を打ち付け複雑にして逆転を狙う」棋風について考えもした。
映画「ザ・マスター」についての感想を別のブログに書いたのが、
それがよかったことだったのかわからない。
幼なじみの結婚式へ出席。
隣に座ったいとうせいこう似の人がわたしの結婚相手を
必死になって探してくれていた。
わたしは結婚式の間中、
来月会えるかもしれない曽根中生についてずっと考えていた。
ふとなにか、こみあげるものがあって、
それが結婚式についてなのか曽根中生についてなのか、
それともわたしの人生についてなのか混ざり合って、
わからなかったが、とにかく涙が出てきた。
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もう何年も言葉を失っていた。
このブログにずっと小説家たちの文章を執拗に書きつけてきたのは、
たぶん失われた言葉を取り戻そうとしていたのだろう。
それは映画から何年も遠ざかっていたということとも関係があった。
魂まで根こそぎ奪われるような体験から逃れられない。
自分に「正直に生きる」ということがあるとすれば、
あるいはクリシュナムルティの言うような天真爛漫さがあるとすれば、
映画と向き合うということなのだろう。
シンプルということがここにおいて立ち上がる。
迷いというのは、すでにシンプルではないということ。
そういう内側に気づいたときに、不思議に外側も呼応するように、
いろんな人が現れ、声をかけていただくようになって、
梅も咲き、メジロのかぼそい啼き声にも気づくようになった。
つながりということであれば、宇宙の先の先、縁の縁まで、
地のどんなにか微細なところまで、人はつながっている。
寒さもなくなり窓を開ければ、いろんな鳥がすでに啼いていることに気づく。