もう何年も言葉を失っていた。
このブログにずっと小説家たちの文章を執拗に書きつけてきたのは、
たぶん失われた言葉を取り戻そうとしていたのだろう。



それは映画から何年も遠ざかっていたということとも関係があった。
魂まで根こそぎ奪われるような体験から逃れられない。
自分に「正直に生きる」ということがあるとすれば、
あるいはクリシュナムルティの言うような天真爛漫さがあるとすれば、
映画と向き合うということなのだろう。
シンプルということがここにおいて立ち上がる。
迷いというのは、すでにシンプルではないということ。



そういう内側に気づいたときに、不思議に外側も呼応するように、
いろんな人が現れ、声をかけていただくようになって、
梅も咲き、メジロのかぼそい啼き声にも気づくようになった。



つながりということであれば、宇宙の先の先、縁の縁まで、
地のどんなにか微細なところまで、人はつながっている。
寒さもなくなり窓を開ければ、いろんな鳥がすでに啼いていることに気づく。