そういうかけらのひとつがふとべつの街のかけらで呼びだされ,呼びだされたについてはよすがになる垣のたたずまいか,物のにおい日のかげりでもあるかとさぐってとらえられず,ただ,いま立つそこもそんなふうに,みゃくらくもないきれはしだからというだけなのか,呼びだされた風景はたしかめようとすればかえって溶けはじめ,ゆめで立っただけの街ともくべつがつかなくなっていく.
『累成体明寂』黒田夏子