それでいてその旋律を知っているのは,道すがらの建ものから洩れてくることも休日などに耳にすることもあったからだが,その旋律じたいもその音階体系もけしてきらいなわけではないのに,それどころかときとして苦痛なまでにおぼれかかるのに,それを聞いてしまうとなにかにまいあわなくなるようで,朝の光がにわかに熟しすぎてしまうようで、あわてて逃げ出された. 『累成体明寂』黒田夏子