意拳は実際の組討の中で、往々にして「只一下(ただ一撃)」で戦いを終える。この意拳の奇異な現象を、多くの人は「奪力一摶(すべての力を振り絞って殴りかかる)」、「孤注一擲(すべて運に任せて一息に勝負に出る)」などと理解し、甚だしきに至っては「瘋狗精神(狂犬精神)」などと言う者までいる。実に、無知の極みである。ただ意拳がこのような現象を生じるのは、意拳がすでに判断式の偶然性の結果から、完備式の必然性の結果に入っているためである。『韓氏意拳』「意拳の価値」韓競辰


ここ何週間か土日の朝6時に必ず花火が鳴る。今日は町で行事がある合図である。この時期ではそれは運動会となる。何度も鳴るのは何度も中止になっているからである。今日も鳴ったが、今日も細い糸のような雨が降っている。花火を打ち上げるときはいつも晴れている。今は稲刈りの時期。それと運動会は関係あるのだろうと思った。収穫を祝う祭りとあの運動会の燥いだ調子はひとつになる。最近は受験勉強の関係で5月開催の運動会が大半になっている。だとしたら益々自然(神)とのつながりから、引き離されているということか。