たとえば、自分に関係のある部分(neighbor)は私の延長であり、その延長は私のようなかたちをしていないけれども、同じ人生を歩む—このことが理解できれば、私といわれている肉体がこのまま消えていったとしても、それほど恐怖に思わないでしょう。最終的に、肉体というものは、自分の周りに、違うかたちによって物質的に表現される。そのときはじめて、ああこれがからっぽの自分か、ということがわかるんだろうと思います。荒川修作