時枝は、英語を天秤に喩えた。主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」である。それを包んで「補語」がある。「主語」も「補語」の一種類である!(私はこの指摘を知って雷に打たれたごとく感じた)。『一つの日本語観』中井久夫