私は栄養不足による肉体的の衰えと逆に歩調を合わせて、精神が解放され自由になりました。毎日の空襲が、生活の一種の彩りになっていたと云っても嘘にはなりません。それを頽廃の証拠だと云われれば、それでもいいのです。とにかく、その場その場の快楽を、それが本物であるか偽物であるかは別として、みつけることに、(私ばかりではありません)誰も苦労はしなかったということも、私はあのころの現象的事実だったと信じて居ります。『空気頭』藤枝静男